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COFFEE BREAK
文化-Culture-
フェルナンド・ペソアが、愛したコーヒー。
国民的詩人のよすがをリスボンでたどる
フェルナンド・ペソアが、愛したコーヒー。
自分の中の他者、郷愁、夢、海......。コーヒーを飲みつつ、ポルトガル・リスボンを逍遥すれば、ペソアの言霊と出合えるかも?
〈僕は生まれるとすぐ/僕のなかへ閉じ込められた/だが僕は逃げた/(略)/魂は僕を探し索める/しかし僕はあてもなく彷徨う/ああ 僕は願う/魂が探しあてることのないことを/ある者であることは牢獄だ/僕であることはなにものかでないことだ/僕は逃亡者として だが/生きいきと生きることだろう〉(「僕は逃亡者だ」)
フェルナンド・ペソアはポルトガルの国民的詩人である──という枠を超えて、今や20世紀を代表する詩人という評価を受けている。ロシア人言語学者ロマーン・ヤコブソンは、ピカソ、ジョイス、ル・コルビュジエといった同時代の偉大な芸術家のリストにペソアを加えるべきだ、と述べている。
1888年リスボン生まれ。子供時代の9年間を親の都合で南アフリカで過ごしたのち帰国。その後は遠くに旅することなく、生涯リスボンで過ごす。
〈私は自分自身の旅人/そよ風の中に音楽を聞く/私のさまよえる魂も/ひとつの旅の音楽〉(「断章」)
リスボンにいながらにして遠くまで旅することができたとも言えるだろう。ペソアは生涯会社勤めをしながら、余暇を使って創作を行った。生前に出版した詩集は1冊のみ。死後に自宅のトランクの中から夥しい数の未発表原稿が出てきて、文学界を驚かせることになった。ペソアが「自分自身」を旅したのは自宅の寝室であり、行きつけのカフェであり、両者を結ぶ石畳の道やプタナスの繁る公園だった。詩人の思索にコーヒーが手を貸したことは疑う余地のないことだ。数多残るゆかりの地を訪ね、コーヒーの力も借りて、ペソア・ワールドを覗いてみよう。
コーヒーの力を借りて、ペソア・ワールドを覗く。
フェルナンド・ペソア博物館は詩人が32歳から47歳で没するまで暮らした建物。博物館正面や階段ホールの壁には詩の断片がさまざまな書体・文字色で書かれている。2階にはペソアの部屋がある。木目の美しい背板と猫脚を持つシングルベッド、トレードマークの眼鏡、ペン、手帳......。
〈極度の近視。着ていた服はいつも黒。口数は少ないが、物腰はやわらかく、人なつこい。ナショナリズムを説くコスモポリタン。無用の事物のおおまじめな探求者。笑わずに、人の血を凍らすユーモリスト。自分とは別の詩人の創造者、かつ自分という人格の破壊者〉メキシコの詩人、オクタビオ・パスによるペソア紹介だ。博物館1階にアルマダ・ネグレイロスが描いたペソアの肖像画がある。絵の中のペソアは左手に煙草、右手でテーブルの上の紙片を押さえ、神経質そうな目を宙に向け、詩が降りてくるのを待っているかのようだ。彼の前に置かれた小さなコーヒーカップが詩作とコーヒーの親密な関係を暗示している。博物館の裏手に併設のカフェがある。小さなチョコレートが添えられたコクのあるエスプレッソを啜ると、目の前の壁に書かれた詩の断片が意識を捉える。〈カフェのテラスから人生が輝いて見える〉ペソアが心身にどんどん浸潤してくる。
「異名者」はペソアが創り出した人格で、カエイロ、レイスなど、各々が名前と詳細なバックグラウンドと性格を持ち、それぞれに詩作し、互いに批評し合う。現在までに見つかっている異名者の数は72人! 写真は異名者たちのサインを集めた博物館の展示。
外界と内面とを、行きつ戻りつする。
ショッピング街のシアード地区。高級ブティックの並ぶガレット通りで、カフェ・ア・ブラジレイラの古風な造りはよく目立つ。1905年創業のこの店はペソアが日参し、前衛芸術運動の仲間たちと交わったことで知られる。リスボンではエスプレッソのことを「ビカ」と独特の呼び方をするが、それはこの店から始まった。ペソアもそう言って注文しただろうかと想像しながら、ビカを1つ頼む。誰か、ペソアのエピソードを語れる人はいないかと店員に訊ねてみたが、死後80余年も経った今、生前は無名だった男の残滓が容易に見つかるはずもなく......。カフェの前の歩道に、88年に生誕100年を記念して設置されたペソアのブロンズ像がある。すぐ脇のテラス席に陣取り、コーヒーを楽しむツーリストたち。彼らの記念撮影のターゲットという役割を黙って引き受けているペソアを見ていると、1つの詩が思い出される。
〈ぼくは 自分自身の風景/自分が通り過ぎてゆくのを見る/さまざまに うつろい たったひとりで/いまいるここに 自分を感じることができない〉(「どれほどの魂が」)
〝7つの丘の街〟リスボンは歩いても、歩いても飽きることのない麗しい街だ。街歩きの愉しみをペソアの詩が増幅させる。それは外(リスボン)と内(魂)を行きつ戻りつするような体験。作家の池澤夏樹氏が次のように述べている。「フェルナンド・ペソアには用心しなければならない。彼は読者に憑くのだ」
ペソアに憑かれた人の多くが訴える〝症状〟は自分がペソアの生み出した異名者の一人だと思い込むことだとか。
街の中心からトラムに乗ってベレン地区の水辺を目指そう。テージョ川と海もペソアの詩に頻出する題材である。
ペソアの墓のあるジェロニモス修道院に墓参する前に、パスティス・デ・ベレンのエッグタルトを頬張り、ミルクコーヒーを飲みたい。発見のモニュメントを眺めたら、河畔を歩くこと半時間。ベレンの塔まで来れば眺望が大西洋へと一気に開ける。
〈塩からい海よ/おまえの塩のなんと多くが/ポルトガルの涙であることか/(略)/それは意味のあることであったか/なにごとであれ/意味はあるのだ/もし魂が卑小なるものでないかぎり〉(「ポルトガルの海」)
コーヒーの後味が残る口に海の水を含んでみようか。