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COFFEE BREAK
文化-Culture-
少女の心を満たした、 小さな喫茶店の光景。
坂の下にあった一軒の喫茶店にその女の子は入り浸っていた。小学校が終わると1人で歩いて店にやって来る。仕事が終わったお母さんが迎えに来るまで、彼女はコーヒーの匂いが立ちこめるその店で過ごした。
客は途切れることなくやってくるけれど、にぎわうというほどではない。マスターは1人で黙々とコーヒーをいれたり、料理を作ったりしていた。店の隅っこには、コーヒー豆が入っていた大きな樽が置いてある。からだが小さかった彼女は、その樽の中に入ってじっとしたり、本を読んだりするのが好きだった。
彼女に「タタン」というあだ名をつけたのは、常連客の老小説家だ。いつも樽といっしょにいるから、タタン。フランスの郷土菓子タルトタタンが生まれたエピソードをさりげなく盛り込みながら命名した。
誰もが自然体でいられる、落ち着ける場所の条件とは?
本書は、この喫茶店でタタンが見聞きしたことを描いた短編集。30年以上の歳月が過ぎ、小学生だった頃の思い出を静かに綴る。当時彼女は東京郊外にあった団地で、共働きの両親とともに暮らしていた。
そんな彼女がなぜ、喫茶店に入り浸るようになったのか。マスターと母が知り合いだったわけではない。だけどそこはタタンにとって、家以外で唯一落ち着ける場所だった。家から離れることを極端に恐れ、幼稚園に通うこともできなかったタタンにとって、そこは何かが特別だったのだ。
店はいたって普通の喫茶店だ。週刊誌や漫画が置いてあって、当時、流行していたインベーダーゲーム機が一卓。コーヒーは豆を選ぶこともできるけれど、「コーヒー」の一言でも通じるし、もちろん紅茶も置いてある。タタンはホットミルクを飲んでいた。
この普通っぽさが特別だったのではないだろうか。店主が店に想いを込めすぎると、客を選んでしまうことがある。本人にそんな意図はなくても訪れる側は、なんとなく気を使う。無造作に訪れるわけにはいかない気がするのだ。だけどこの店は、どんな格好でも睨まれないし、どんな気分のときでも誰と一緒でも、もちろん1人でもいい。
マスターは小説の中でも、そして店にとっても脇役だ。タタンとも特別、気の合う関係だったということでもない。そもそもマスターは、客に必要以上の情を示さない。ことさらコーヒーの蘊蓄を語ることもないし、さりげないタイミングで抜群の気配りを見せることもなく、いつも淡々としている。
もちろん彼なりのルールはあるかもしれない。だけどそれはきっと彼が無意識にやっていることであって、自尊心を満たすという類のものではないのだろう。だから客がくつろげるのだ。
孤独な人たちの心に宿る、自意識過剰の罠。
一方で、登場する客たちはみな個性的だ。彼女にタタンと名付けた老小説家は、2、3日に一度現れた。不愉快そうにコーヒーを一杯飲んだだけで帰ることもあれば、愉快におしゃべりしながら長居することもある。タタンは彼には躁鬱の気があったのではないかと振り返る。
歌舞伎役者の卵で近くにある菅原商店の息子トミーは、しょっちゅう女性を連れてきた。同じ女性を2度と連れてこないトミーが同じ相手と再び店を訪れたとき、彼のタニマチである神主は色めきだって、いつも以上に説教に力がこもる。
小学校入学前のタタンを、初めて店に連れていってくれたおばあちゃんはやたらと死を口にする人だった。
無口な学者、近所の学生、黒いラップワンピースをまとった女性。一人ひとりの人生があって、それぞれの暮らしがある。店でコーヒーを飲みながら、彼らは無意識に彼らの心のうちをタタンにのぞかせる。
大人になったタタンは思う。あの店に来ていた客たちは、誰もがどことなく孤独だった、と。たしかにそうかもしれない。家族がいても、恋人がいても、埋められない心の隙間がある。
近所の学生は、小学生のタタンを相手に自身の信念を語った。学校帰りに具合の悪くなったタタンが公園でうずくまっているのをおぶって店まで送り届けたのだが、本当は、他人から人助けをするような人間だと思われるのが気恥ずかしいのだと言い出す。自分は闇に引きつけられるような人間なのだと。しかし誰もそこまで彼のことを気にしていないだろう。
老小説家のもとを訪れた30代の女性編集者は、自分はもらい子だったのではないかという自説を延々と繰り広げる。
孤独とは、自意識からくるものだ。自分とは何者かがわからないから、1人だと感じる。タタンはこの店で人生というものをおぼろげながらに理解した。自分と向き合えば向き合うほど、苦しくなる。どんなことにも理由や背景を求めてしまうのだ。
この店にも、マスターがいれるコーヒーにも、そんな自意識は一切ない。客から選ばれる特別な存在になりたいという願望を微塵も感じさせず、店は店で、コーヒーはコーヒーでしかない。その無意識が心地いい。だからくつろげる。幼いタタンは、その気配を瞬時に見極めたのではないだろうか。
喫茶店を訪れる。コーヒーを飲む。その光景はなぜか心を温かくしてくれる。私たちもこんな日常を過ごしているのだろう。特別なことは小説の中でしか起きないのではなく、少しだけ注意深く心を傾ければ見つかるのだ。
中島京子著
新潮社 ¥1,512(税込)
舞台は東京郊外にある小さな喫茶店。片隅には、コーヒー豆が入っていた樽が赤くペイントされて置いてあった。30年以上前、近くの団地で暮らしていた小学生の女の子は、無口なマスターとそこを訪れた客たちとともに、放課後をこの店で過ごすことになる。「タタン」と呼ばれた女の子が当時を振り返ると、そこには人生の酸っぱさとほろ苦さと温かさがたっぷり詰まっていた。