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COFFEE BREAK
文化-Culture-
エッセイ*中条省平【 パリのエスプレッソ。】
子どものころはコーヒーが苦手でした。
父はインド洋に出かけてマグロをとる中型船舶の船長だったので、しばしば海外で買った土産品とか食料品などを家に持って帰りました。しゃれ者で、新しいもの好きだったので、当時(昭和30年代)では珍しいことでしたが、海外から缶入りの挽いたコーヒーを買ってきて、金属製のサイフォンで淹れて飲んでいました。
しかし、私はどうもそれが苦手で、長じて喫茶店に入るような年齢になっても、コーヒーよりは紅茶や生ジュースを飲んでいました。
それががらりと変わったのは、フランス文学を専攻して、論文を書くためにパリに留学したときのことで、今から40年近く前の話です。
パリは人口に比して、ともかくカフェの密度の高い町です。統計的な裏づけがあるわけではないのですが、世界でいちばんカフェが多い町ではないでしょうか。どこの地下鉄駅から地上に出ても、まわりにカフェがないことはなく、多い場合には4、5軒のカフェが集まっていたりします。
もう一つ、パリのカフェの特徴は開放的なことです。必ず外にテラスがあって、店の内側の席に通じています。カフェの外と内の区別があいまいで、カフェは外の空気とつながっているのです。
ここがパリのカフェと日本の喫茶店の大きな違いです。日本の喫茶店は中に入ると密閉空間での孤独と安らぎをもたらしてくれます。これは日本の喫茶店の長所です。しかし、パリのカフェでは、中にいるお客が外を通る人々とつながりあっていて、共通の空気を呼吸しています。その親しみの感覚がパリのカフェのいいところなのです。カフェの席から道行く人々を眺めているだけで、カフェにいながら、自分が町の一部になっているような感覚を味わえるのです。
そんなわけで、私もパリのカフェの開かれた雰囲気に誘われて、ほとんど毎日カフェに入り、道行く人を眺めたり、映画の待ち時間をつぶしたり、買った本や雑誌を眺めたりして過ごすようになりました。
フランスのカフェで興味深いのは、席によって飲み物の値段が違うことです。ゆったりできる戸外のテラス席が最も高価で、次に落ち着いた店内の席の値段がすこし安くなって、いちばん安いのは、カウンターの脇で立って飲む場合です。
カウンターで立って飲む場合は、そもそもそんなに長居をしようと思わないときなので、飲み物も、小さなカップに入ったエスプレッソ(フランス語で「エクスプレス」)を頼む人がほとんどです。人が注文するのを聞いていると、わざわざ「エクスプレス」といって頼む人はほとんどなく、「アン・カフェ(コーヒー一杯)」といえば、自動的にエスプレッソが出てきます。フランスでは、カフェとはエスプレッソのことなのですね。
もちろん私もカウンターでエスプレッソを注文してみました。最初はその強烈さに衝撃を受けました。それまで私が日本で「コーヒー」として知っていた飲み物とはまるで別物。香りが強烈で、濃厚で、味はともかく苦い。最初は砂糖を入れて飲んでいましたが、そのうちこれが日本の薄いコーヒーより気に入ってしまったのですね。強いから胃にもたれるかと思ったらその逆で、なんだか胃がすっきりするのです。コーヒーの健胃作用に目覚めたしだいです。
とくにたっぷりとしたフランス料理のフルコースを食べたあとなどはエスプレッソなしではいられません。もちろん、その場合は砂糖など不要。コーヒーのワイルドな苦みが料理とデザートの総仕上げをしてくれます。その際、フランス人が「オ・ド・ヴィ(生命の水)」と呼ぶ強烈な蒸留酒とエスプレッソの相性の良さにも深く魅せられました。
葡萄の蒸留酒のブランデーはいうにおよばず、林檎のカルヴァドス、桜んぼのキルシュ、梨のポワール・ウィリアムスなど、エスプレッソと交互に飲むと、ひと口ごとに果実の香りが鮮烈に立ちあがってくるのです。
もう、パリのカフェではエスプレッソなしではいられなくなり、生意気なようですが、カフェによるエスプレッソの飲み比べなどもするようになりました。パリの普通のカフェで出るエスプレッソは、安い豆(たぶん)をたんなる機械にぶちこみ、ブシューッと蒸気を通して作るのですから、味にそんなに差が出るとも思えないのですが、それぞれのカフェにその店独特の味わいがあるような気がして、楽しい経験でした。
今では机に乗るようなコンパクトなエスプレッソの機械も普及して、家庭でも簡単にエスプレッソを楽しむことができます。しかし、カフェにあるのはコーヒーの味だけではありません。店にぶらりと入り、カウンターの前に立って飲むエスプレッソには、そのカフェのある街角のたたずまいや、主人やギャルソンの感じ、そこを訪れる常連の客層、店のインテリア、季節の空気やその日の天気など、色々な要素が混じりあって、その味わいを豊かに作りあげている気がするのです。
今はコロナ禍で、あれほどカフェ好きなフランス人たちもカフェ通いを自粛しているのでしょう。つらいだろうなあと思います。でも、暗く閉ざされた冬の雲のあいだから陽の光が射し、花々の蕾が一斉に膨らむ春がやって来るように、いつかみんなで自然にカフェへ足を向ける日がやって来るでしょう。そうしたら私も10数年ぶりにパリへエスプレッソを飲みに行きたいと思います。
1954年生まれ。学習院大学教授。パリ大学文学博士。主な著書に『人間とは何か 偏愛的フランス文学作家論』『フランス映画史の誘惑』『恋愛書簡術』、主な訳書にコクトー『恐るべき子供たち』、ラディゲ『肉体の悪魔』など多数。