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COFFEE BREAK
文化-Culture-
エッセイ*大來尚順【心に寄り添うコーヒー。】
私にとってコーヒーは一緒に苦楽を共にする親友であり、恋人であり、先生であり、自分を映し出す鏡でもある。いつでも自分に寄り添ってくれる存在だ。これを一般的には癒しと呼ぶのかもしれない。
コーヒーをゆっくり飲む時間は、特別な癒しだと感じ始めたのは今から十数年前。アメリカはカリフォルニア州バークレーに留学していた頃からだ。当時、滞在していた学生寮の近くにオープンテラスのカフェがあった。カフェの庭には明るいカリフォルニアの陽差しが差し込み、重厚な白の長椅子が迷路のようにいくつも並び、爽快さが漂っていた。後で知ったことだが、そこは映画のロケ地にもなった有名なカフェだったそうだ。当時、そこで$1.75で飲めるコーヒーが、唯一の自分へのご褒美の時間だった。
学生寮でも毎日のようにコーヒーは飲んでいたが、それはいつも深夜まで続く勉強の眠気覚ましとしての飲み物で、特に味などを気にすることなくお得用の大きな缶に入ったインスタントコーヒーを作って飲んでいた。
しかし、学校での様々な課題をクリアする度に、ご褒美として自分に与えていたのがカフェでのコーヒーだった。一ドル札とポケットにジャラジャラと入った小銭からクウォータコイン(25セント)3枚を取り出し、その対価としてコーヒーを大事に受け取る。切り詰めて学生生活を送っていた中での$1.75は大金だった。
分厚くて丸い白のコーヒーカップ満杯に入ったコーヒーを溢さないように、両手でソーサーを持ち、丁寧にカフェテラスへ運ぶ。お気に入りの陽当たりの良い席に移動し、一呼吸。それから、香りを嗅ぎ、開放的な空間の中で贅沢な時間を過ごす。
口に含むと、ファーストインパクトとして、どしんとした重みと渋みを感じるが、飲み込むとスッと喉を通り、また身体の中で香りが広がり、鼻から香りが抜けていく。この香り付きの深呼吸の繰り返しを通して、様々な自分を振り返る。
コーヒーを静かにゆっくり飲み干す中で、コーヒーは不思議と何度も役割を変えていった。ある時は自分を労わってくれる親友。ある時は心地よい気持ちと時間を共にする恋人。時には苦味を通して苦言を呈してくれる先生。そしてまたある時は、その時の自分の姿を映し出してくれる鏡。コーヒーは折々で自分に必要な役割に変わってくれた。
七変化するその役割は今でも変わらない。その幅は、私の朝の目覚ましからはじまり、さらに深い私の心の根底に触れるところまで広がっている。人には言えない悩み、口に出せないこと、人目のないところで吐露したことがある。実際、日々の生活では良いこと悪いことを含め、予期しない様々なことが起こる。プライベート、仕事、人間関係など、いろいろなことに振り回され、心をかき乱されているというのが、私を含め多くの人の姿ではないだろうか。しかし、そんな状況の中で、海で溺れているかの如く、もがき暴れる自分に落ち着きを与え、そのまま受け止めてくれるのがコーヒーである。ありのままの自分を露呈できる。すると、ふとなぜそんなちっぽけなことで悩んでいたのか、自分が滑稽に思えてくることがある。まさに自然に浮かぶにもかかわらず海の上で無駄に体力を使っていた自分の姿が露呈されるのである。同時に暗かった心に一気に光が差し込む。これがコーヒーの創出する癒しだと私は思っている。ある意味、自分だけの特別なコーヒーである。
実はそんなコーヒーが繰り出す癒しの時間は、仏教の開祖であるブッダに通じるものがある。その昔、ブッダは人それぞれの悩みや苦しみに寄り添うために、その人に必要と思われる手法や表現で説法していたという。これを対機説法(たいきせっぽう)というが、結果的にこれが世界に5千余巻あるといわれる膨大な経典の数に結びつく。
コーヒーのように本質を変えず、柔軟性を持って人に寄り添い、癒しや安心を提供することが私の目指す僧侶としての姿だと常々思う。このような自然で柔らかな姿勢で人々に寄り添うことができればと願うばかりだ。
コーヒーには不思議な力がある。その力に何度助けられたかわからない。しかし、よく考えてみれば、いつだって私はコーヒーの力に支えられているのかもしれない。実際、今こうしてエッセイを書いている時でさえ、私の横で香りをはじめいろいろなことを語り掛けながら寄り添ってくれている。気がつかないだけで、私はコーヒーと共に日々生活しているのであろう。
日々の生活において欠かせないコーヒー。この恩恵に感謝し、その恩恵で得たものを自分だけではなく多くの方と共感したいものである。それが、コーヒーへの報恩である。
さあ、今日もまた特別なコーヒーを頂くことにしよう。今日はどんな役割で私に寄り添ってくれるのだろうか。
1982年山口県生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。龍谷大学卒業後に単身渡米。ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。東京と山口県の自坊(超勝寺)を行き来し、通訳・翻訳、執筆・講演などを通じて国内外への仏教伝道活動を実施。